2015年6月29日月曜日

営業マン


カタログは営業マン

通信販売のリミットには営業マンは一人もいません。
「カタログは営業マン、カタログを見れば商品がわかる。
売れる商品を作れば営業はいらない」
先代の残した厳しい言葉です。
何時もいつも追いかけられた言葉です。
何時もいつも頭から離れることのない言葉でした。

「自分が喜んで着れる服を作り続ければいいんだよ。
作り続ける中に明日が見えてくる。」
「商品は必要なとき必要な数だけ揃っていればいいんだよ
売り上げは商品が作ってくれる。」
逃げ出したい思いの中、いつも単純で明快な先代の答えでした。

でもネット社会は時代を大きく変えました。
営業マンはカタログだけではありません、
多くの情報を含んで世界中を相手に、瞬時に行動する営業マン。
新しい時代、
過去の教訓は、時代に合わなくなったのでしょうか。

2015年6月8日月曜日


 何時もいつも頭の中は、新商品の事で頭がいっぱいでした。
お客様は、何を求めておられるだろう。
生地は、色は、デザインは、さらに、衿は、ポケットは裾周りは・・。
そして、撮影間際まで手直しを試みました。
寝てもさめても新商品が頭から離れることはありません。

一年後実績がつかなかった商品たち
でも廃番にする決心がつきません。
もしかしたら来年売れるかもしれない、再来年売れるかもしれない
ユニホームは流行に左右されないから
手塩に掛けた新商品、その一点一点に思い入れがありました。
でも、そんな思いは数字の上には上がりません。
結果がすべてを物語ります。
判断が遅れた分過剰在庫になりました。

仕事にはそれぞれに役目がありました。
種をまく人
耕す人
収穫する人
そして最後は破棄する人
破棄するから
新しい土壌が生まれます。

そしてまた次の種をまくのです。


2015年5月25日月曜日

役目


 40年の歳月の中、沢山の商品が生まれては消えていきました。

配色のパステルカラーがかわいくて、エプロンと組み合わせて、ボトムもこだわって作りました。
でも時代に合わなくなってきたのでしょうか。
大好きだったポロシャツは、気が付くと廃番傾向の商品リストに上がっていました

どちらかと言えば中高年向きと思えるデザインだけど(若かった頃のお話です)、無難な色だけど
でも、そんな商品が40年間上位を独占しているのです。
こんな機能もつけたいな
こんな機能があればきっと喜ばれる
でもこだわればこだわるだけ、職種は限定されていきました。
コストも上がっていきました。

バブルの弾けた痛恨の時代、皆を元気にしたくて明るく華やいだ色をつけました。
ユニホームぽくない色を、一般衣料のようなシックでおしゃれな色をつけました。

過去の時代を生きてきた商品たち
明日の時代をを生きていく商品たち
華やぎの役目をしてくれる商品たち
縁の下でひたむきに会社を支えてくれる商品たち
一つ一つの商品に課せられた役目がありました。

そして商品は、皆に支えられ育って行きました。
一人一人その役目を遂行するとき
商品もその役目を果たしていくのです。













2015年5月18日月曜日

定番

「誰からも愛され信頼されるスモックの定番」
リミットのカタログにこんな言葉で紹介されているL-6600スモック。
そもそも定番ってどんな商品の事なのでしょうか。
定番はどの様にして育つのでしょう。
ネットでは、ていばん【定番】とは。
 (安定した需要があり、台帳の商品番号が固定しているところから)流行に左右されない基本的な商品。とありました

今まで私が思っていた定番商品は、10人の内7人の人に気に入ってもらえたら
その商品は定番として育っていくと思っていました。
ユニホームは大勢の人が同じ服を着なくてはいけません。
一人一人年齢も好みも体型も違う働く人達です。
その色も、もっと明るい、もっとシックな、と人によって好みが違います。
もしかしたらその商品を選ばれたのは、会社のオーナーの方かもわかりません。
では、その七人の人は、本当に100%満足してくださっているのでしょうか。
紺色は顔が引き締まって見え年齢、体型を問わず、誰もが着ておかしくないた色でした。
昔から女性の仕事着として定着していたスモックに衿をトリミングした商品は、ちょっとおしゃれに
見えました。
そして、着てみないとわからないのがパターンです。
男物から出発したユニホーム、そのパターン作りは女性の胸の厚みを平面で捕らえたものでした。
会長は、ある日大きな決断をしたのです。
リミットの商品のパターンを、すべてやりかえる。
そして、東京から著名な先生に指導に来に来ていただいたのです。
やがてトラブルを何回もを繰り返しながら、二年間の歳月を掛けてすべての商品のパターンが見直しされました。
若い人は、若さでどんな商品も着こなせます。
でも、年をとるごとに平面的なパターンは、なんだかだらしなく見えるのです。
胸の厚みを立体的に捕らえたパターンは着てみて始めてわかります。
だらしなく見えた肩から首下はすっきり、なんだか背筋が伸びた気がするのです。

デザイナーブランドはこの商品がいい、このブランドが好き、といって下さる
一人の人が100%以上満足してくださる事を目指します。
ユニホームを着てくださる人達は、年齢も体型も、好みも、一人一人違う人達です。
すべてを満足していただく事は出来ません、でも70%満足してくださったから。
そして、決定してくださる方の思いもしっかり受け止めたから。
それが、定番になるのでは、だから、定番として育ってきたのでは、。













2015年5月1日金曜日

父へ


 目をつむると思い出すのは、いつも笑っている父の姿です。

絵が大好きだった父
老人大学で習った水彩画は70歳過ぎての手習いでした。
残された父の部屋には小さな皿が何枚も重ねてありました。
途中止めで完成されていない絵もたくさんありました。

水彩画はその色の濃淡さえも、顔料の一色一色で決まるのだそうです。
たくさんの皿の上に絞り出された顔料、
でも、絵筆につけたその一滴がシミになると 完成間じかの絵も駄目になってしまいます。
「アーもう止めた」
いつも東の窓に机を置いて太陽に向かって絵筆を握っていた父。
太陽に向かって、父は何度この言葉をつぶやいたのでしょうか。

「やさしい線を描くのは簡単じゃ、でもとがった線は難しい。」
孫達によく話していた言葉だそうです。
父にもらった鯉の滝登りの絵
滝つぼを背に勢いよく飛び跳ねているはずの鯉
でも父の描いた鯉は、何時までたっても滝を上れそうにありません。
弓を引く若武者を乗せた競争馬、今にも駆け出しそうなはずですが、
父の描く馬は農耕馬でゆっくりゆっくり歩きます。

それはそのまま父の姿です。
どんな時にも温厚でいやという事の出来ない父でした。
でもそんな父が私たち姉妹の誇りです。
90歳を過ぎても畑を耕し、自然と会話する父が好きでした。



























































































































































































































2015年3月2日月曜日

夜間歩行


 「一生懸命会社の為に頑張ってきた私の人生は、何だったのだろう、
退社後会社からかかってきた電話は、失業保険と給料振込みの説明だけだった。」
そんなお話をされたのは、夜間歩行50キロに挑戦された男性です。

毎日、一時間かけてまだ暗い夜明けの道を 背筋を伸ばして歩く姿は
年齢よりはるかに若いと、自己主張する主人。
残り10キロの苦しい道のりで、たまたまであった二人。
身の上話をただ聞いてあげるだけだったけど、歩く苦しみを励みに変える事が出来たよ。
団塊の世代を共に生き抜いてきた二人に、どんな会話があったのでしょうか。

50キロの自分への挑戦は667人の参加だったそうです。
誰の為にではなく、会社の為にでもなく
自分自身の為に、自分への挑戦。
厳しい世界に身をおくことで、新たな自分発見につなげたい
そんな強い思いの人達なのでしょうか。

泣きじゃくる子供を背中にミシンを踏んだ思いでは
とっくに記憶の中から消え去ろうとしています。
これからは自分の為に、自分自身の為に
笑顔でミシンを踏んで生きたいと思うのです。


2015年2月1日日曜日

めがね


「めがね、メガネ」
今まで掛けていためがねを何処に置いたのでしょう。
 探しているのは、針に糸を通す時に必要な老眼鏡です。
でも、少し離れて見たいときは、掛けると回りがぼやけて頭がくるくるしてきます。
作業が変わると欲しいめがねも変わります。
でも、メガネが目から離れたその瞬間から、もう意識は他へ移っているのです。
またしても 「めがね、メガネ」 ちぐはぐな意識に体は振り回されるのです。

大好きだった現場の仕事。
でも、40年という時の流れは、
いつの間にか時代だけではありません、脳も体も変化を遂げていたのです。

小さな妥協は、やがて妥協を許得ない結果につながるのです。
同じ事を何度も何度も聞きながら、頭に入れようと必死です。
でも、何度も何度も聞くたびに、頭はますます混乱してきます。
ミスをしてはいけないと思う心が動作を鈍くしてしまいます。

土曜日の夜、たまたま見かけた中井貴一と糸井重里のスイッチインタビュー「達人達」
沢山の顔を持つ糸井さんが仕事の極意を語られていました。

「僕はね、夢は小さければ小さいほどいいと思っているんだよ。
大切なのは本気になること。」

60歳をとっくに越えた今、言えるのは 「ミシンは正業」必死です。